それでもボクはやっていない

d0008370_2148838.jpg この映画みんな見ました?見てないならすぐにでもレンタル屋さんに走って下さい。久しぶりに考えさせられた映画でした。
 昨今、特殊撮影等が盛んに使われる映画が流行っているが後に残る物と言ったら「映像、すごかったね〜。○○○さんはやっぱ格好いいな〜」で終わる。そもそも人は映画を何のために見るんだろう?それは時や人によっても違うと思うけど、「すっきり・爽快・ハッピーエンド」を望んでいるのなら、この映画は相応しくない。でも「今生きている環境や自分自身について考えたい」等々ならお勧めだ。

 ストーリーを簡単に言えば「ある少年が身に覚えのない痴漢容疑で逮捕されるが、自分の潔白を証明するために裁判を通じて訴える軌跡をおったドラマ」という事だ。作った周防正行監督は、この映画を通じて本当は何を訴えたかったのか?監督の真の気持ちは解らないが、少なくとも見た人の心を打つ映画である事は間違いない。現に、この映画の反響の多さがネット上で検索するとすごく解る。各ブログ等では日本の裁判制度の問題点について書かれている記事を多く見た。確かに今の日本の裁判制度の問題点や疑問点を訴えたかったのはあるでしょう。でも僕はそれだけとは思えなかった。今の日本社会が抱えている縦社会に対する問題点や真の正義とは何か?について僕は考えてしまった。

 まず、今の裁判制度の問題点や疑問点についてだけど、僕は法律の専門家でもないし正直な所、解らない事で一杯である。というか基本的な事でも理解していないと思う。現に映画で言われていた有罪率99%にはびっくりした。無罪を主張した案件での無罪率は、たった3.4%らしい。ちなみにアメリカでは無罪を主張した案件に対する無罪率は27%らしい。「えっ、という事は日本では無罪でも逮捕されてしまったら、大半の人は地獄行き決定になると?それだけ日本の警察は優秀って事?この所のニュースでも官僚を含めた公務員の不祥事事件が多いし、そんなん信用出来へんわ〜」と思って色々と調べてみた。そしたら、日本では逮捕され送検された被疑者が起訴される率は63%らしく、諸外国と比べても低いらしい。きっと日本では起訴するかどうかの判断は任されている検察官の裁量に任されている部分が高いからなんでしょう。これらの確率を考えると諸外国と比べてもあまり確率的には差がないという事になる。逆に言えば、日本では検察官と裁判所という二つの機構が真に?審議しているので正当性は高くなるとも言える。さらに裁判所では、今まで(H16年頃)は裁判官が両者の主張や証拠を元に判決を決定していたが、裁判員制度が導入された今では裁判官3名に一般市民から無作為に選ばれた人々6名が入って審議する事となった。これらの裁判制度は諸国が導入している制度みたいだが、今回の映画の題材になった痴漢行為が、当制度を適応される案件かどうかについては知らない。調べないとね。

 でも僕は言いたかったのは、そんな事じゃない。僕が感じたのは日本の縦社会に対する問題である。結局の所、大人の社会に出ると強い者には逆らえないという雰囲気が蔓延している事に対してである。映画でもそういった場面があった。裁判官も無罪判決を沢山だす裁判官は出世しにくいと言うのだ。そらそうなるでしょう。だって検察官を含めたお国が判断した結果に対する一種の反逆になる訳で・・・。そういう変わり者は左遷される訳である。フジテレビがやっていた「HERO」「踊る大捜査線」もそういった事の問題点にも触れていたと感じた。最近の流行なんでしょうね。
 
 でも今の若者はこういったドラマから何を学習しているんかな?って思う事が多い。僕もしがないサラリーマンをしているが、会社内を見回してもそういった輩の集まりである。上のご機嫌を伺い、上の決定には逆らわず、それらの問題点に対する打開策については考えず文句ばかり言い、結局は長い物に巻かれろ理論である。という僕も少なからずそういった部分が多々ある。でも、僕は常に思う。「自分が思う事を信じよう。自分がしたい事を行動にしよう」と・・・。だから会社でも上司と衝突する事はしばしばある。そういう意味では僕も変わり者だと自己認識するべきなんでしょう。でも僕は決して「自分と違う意見を全て否定」するつもりで衝突しているんではない。ただ自分が納得していない事ばかりをしたくないだけである。だから「自分と違う意見を持っている人」と話をする事で、双方の考え方を自分なりに理解した上で最良の方法を導きたいと思う。それでも導き出せない場合は「あくまでも自分らしく」である。でもそんな正論は世間からは理解されにくい事も解っている。僕もこう見えても管理職の一員だし、文句ばかり言っている部下は決して可愛くない。「だから僕もきっと上司からは可愛くないんだろうな〜〜〜って」


 きっと僕は器用そうに見えて(って自分で言うのもなんですが)、実は一番不器用な性格をしてるんだと思う。ある時、部下に言われた事がある。「もうちょっと、上司と上手くやってたら、もっと早くに出世していくのに」「僕らみたいに、理解してくれる人ばかりじゃないんだし、誤解される事も多いと思いますよ」みたいな事を言われた。というか今でもたまに言われる。そんな事は部下に言われなくても解っている事だったけど、直接言われると心が痛かった。と言ってくれた何人かの部下は僕の事を思って言ってくれているんだと、それを解っているだめに余計に心が痛かった。
 
 管理職になって思う事がある。「結局の所は偉くならないと、自分が可愛がっている部下を守る事は出来ない。ましてや自分の信じている事をいくらほざいても、犬の遠吠えにしかならない。」だから出世しないと始まらない。一方で「出世ばかりを考えていると、上のご機嫌取り優位の行動になる」イコール自分にとっては、なりたくない像である。だから最近は日々、この矛盾と格闘中である。結局はこの辺を上手く渡るしかないんやろうけどね。

 昨日晩にテレビを見ていたらフレンチの巨匠である平松さんの話をやっていた。そこである質問を受けていた平松さんの受け答えに感動を覚えた。それは平松さんに対して「お客さんから、料理の味の事で否定的な意見があった時は、変更しますか?」という質問に平松さんは即答でこう答えていた。「変える事は絶対にしないです。味は人それぞれで感じ方が違うもんだから、いちいちそういった意見で左右されていられない。それを変更したら、自分の表現したい料理ではなくなる・・・」みたいな感じのコメントであった。少し立場は違う話であるが、共通項がある話だと思う。こういった話は実在する平松さんの様なヒーローだけでなく、ドラマや漫画に出てくるヒーローにしても同じ様なオーラを持った人がヒーローである事はよくある話である。ただ、僕と違うのは「圧倒的な実力・実績」なんでしょうけどね。

 まっ、何よりお上とぶつかるには相当な覚悟と技量と実績と協力が必要である。覚悟・技量・実績は自分で作る事であって、良いも悪いも自分次第である。自分が自分の将来に対してどういうビジョンを描いて、どういった努力をするかという事になってくる。でも協力は他人あっての事。だからこそ自分を取り巻く全ての人と「よく答弁する」事は「自分を見てもらう」事となり、そこから「真の人間付き合い」が出来、結果「協力」が得られると思う。だから討論する事から逃げる訳にはいかない。

 と色々と偉そうな事を書いていたが、実際は自分自身も少し攻撃的なだけであり、実際は弱い人間である。だからこそ、もっともっとスケールの大きな大人になりたいと思う。
 
 最後に今回の映画を見て思った事があった。「もし自分が同じ立場だったら、どうしただろうか?」無罪であっても罪を認める事によって、楽出来るならそうしたんじゃないだろうか?「それでもボクはやっていない」と強く言えるだけの強い人間なのだろうか?と・・・。主人公は映画の最後に無罪であるにも関わらず有罪判決が出るシーンで独り言の様にこう言っていた。

「真実は神のみぞ知るという事を言う裁判官がいるが、それは違う。少なくとも自分は犯人ではないという事を知っている。本当に裁く事が出来る人間はボクしかいない。少なくともボクは裁判官を裁くことが出来る。あなたは間違った判断をしたのだから。でも裁判所はボクを有罪にした。それでもボクはやっていない・・・」

 結局の所、真の正義とはどこになるんだろうか???
これからも、探していきたいテーマだが永遠に答えは出てこないテーマなのだろうか???それとも最後の字幕に出ていた言葉にヒントは隠れていたのだろうか???

「どうか私を、あなたたち自身が裁いて欲しいと思うやり方で裁いて下さい」

 そこにあるのは
「人に対する思いやり。自分がやられて嫌な事は愛する人にはしない様にするというキリストの教えそのものなのだろうか」

 それでも人は神にはなれない。それでも神の精神に少しでも近づこうとする精神こそが、正義に近づく事なのだろうか???
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by m-sanc | 2008-01-07 22:09 | 他の impression
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